【 猫 の 怪 】

 
●本所の猫ばばぁ

 むかし、本所割下水に諏訪源太夫という御家人がいたそうだ。
 源太夫には『きた』という名の七十になる老母があったが、近所の人たちはかげで『本所の猫ばばぁ』と噂し、誰も名前を言わなかった。
 それもその筈、老婆の猫好きは相当なもので、たえず数十匹の猫を居間に飼っていた。
 歳はとっても腰はぴんしゃんして、歩くのも達者なら、口も達者で、
「わたしゃ、人間よりも猫のほうがいいね。猫は人を騙したり、そしったりしねぇ。
 猫ばばぁでけっこうだよ」
 などと憎まれ口をきいては、嫌がられていた。

 あるとき、婆さまが実の子の源太夫よりも可愛がっていた一匹の猫が死んだ。
 婆さまは泣いて泣いて、目が真っ赤に腫れ上がった。
「おお、おお。可哀想に。よし、よし。おめぇは土に埋めたりなんぞしねぇ。
 おれの長持ちに入れて、おめぇの命日にゃ、うめぇモンをこしらえてやろう」

 本当に婆さまはその通りに、毎月毎月、猫の死んだ日には長持ちのふたを開けて、中へ猫の好物だった魚の煮物などを入れてやるのだった。
 余りのことに、源太夫の妻が見かねて夫にそのことを言ったが、
「母上の猫好きは、人並み外れておるがそれを、我慢するのも親孝行じゃ」
 と、取り合わなかった。

 妻が気をつけていると、どうも長持ちの中へ入れた魚はいつもきれいに骨まで残さず食べられていた。
 そればかりではない――。
 台所へ戻された皿は、まるで猫がたんねんに舌で舐めたように、きれいになっているのだった。
「なんだか気味が悪いわ。恐ろしいことが起きなければいいのだけど」
 妻は背筋がぞくぞくするような思いに襲われ、身をすくめてその皿を見つめた。

 宝暦12年(1762)、秋口のこと。
 横なぐりの雨が叩きつけ、風は轟々唸る、怖いような嵐だった。
 その夜は、たくさんの猫がいるのにひどく静かで、婆さまの居間からはコトリとも物音がしなかった。
「心細くて、震えておられるのではあるまいか。なんといってもお歳だ」
 源太夫と妻は、居間の前へ行き、襖を隔てて声をかけたが返事がない。
「母上、失礼いたします」
 襖を開けた二人は、あんぐりと口を開けて顔を見合わせた。
 そこには、いつもうるさく鳴きわめき、取っ組み合っていた何十匹もの猫が、一匹も見当たらない。
「あの長持ちの中に、猫と一緒に母上が隠れているのかも知れぬ」
 源太夫は、そぅっと近寄って、長持ちのふたを取った。
 が、そのまま凍り付いたかのように、身を震わした。
「あなた、どうなさいました」
 そばへ寄った妻に、源太夫は長持ちのふちに引っかかったわずかの猫の毛を指差した。 それが残っているだけで、源太夫の母と数十匹の猫は、『命日のご馳走を食べていた』死んだ猫もろとも消えてしまっていた――。


 猫の妖怪は、しばしば雷鳴と共に雲に乗って現れる。
 同じく下総地方の松戸や柏辺りには『火車猫おトラ』という、黒雲に乗って死者の骸を襲う妖猫の民話がある。
 『本所の猫ばばぁ』も老婆の死後に、火車に変化した長持ちの猫が、連れていったものかも知れない――。

両国回向院

●まねき猫の『猫塚』

 むかし、日本橋に時田半次郎という人が住んでいた。
 大変な猫好きで、一匹の猫を家族同然に可愛がっていた。
 しかし、半次郎は独り身というわけではなかった。大家族を養っていたためもあって、働いても働いても暮らし向きは楽になるどころか、年の瀬も越せそうにないあんばいだった。
 今日も今日とて、借金取りがやって来たのを、押入れに隠れてやり過ごした半次郎は、足音が遠のくのを待ってから、ごそごそと襖を開けてあたりを窺った。
 そこへ飼い猫が甘えて体をこすりつけてきた。
 半次郎がのどをさすってやると、さも気持ちよさ気にゴロゴロとのどを鳴らした。
「おまえはいいなぁ。わしは、こんな貧乏神に纏いつかれたような暮らしに、疲れてしまったよ。
 どっかから小判でも舞い込んでくれりゃあなぁ」
 猫は主の顔を下からじーっと見つめていたが、半次郎がため息をつくなり、立ち上がって、ぷいっと裏から出て行ってしまった。

 さて、夜もふけて、子供たちも寝たし、そろそろ休もうかと半次郎は床へつこうとした時、建て付けの悪い戸の隙間から猫が帰ってきた。
 見ると、何かをくわえている。
「なんだ、おまえ。何を取ってきたんだい」
 猫は半次郎の前へ来て、くわえていた物を吐き出した。獲物は薄明かりの下でピカピカと光っていた。
 何の気なしに拾い上げた半次郎は目が飛び出そうになった。
「こ、小判だ。いや、まさか…」
 歯で噛んでみた。手で重さを測り、指ではじいてみた。
 間違いなく――本物だった。
 半次郎が思わず小判をおしいただくと、猫は嬉しそうに「ニャー」と鳴いた。

 それからの半次郎は、それまでの貧乏暮らしが嘘のように、やることなすことうまくいって、とうとうひと身上作ったという。
 やがて、その猫も年老いて死んでしまったが、半次郎は回向院に立派な墓を建ててやった。
 猫の墓は今も『猫塚』として残されている。

●仇を討った猫の塚

 むかし、八丁堀に魚屋の定さんと呼ばれる博奕打ちがいた。
 額に汗して働くよりも、楽して金儲けがしたいという浅はかな考えで、博奕打ちになったのだろうが、 世の中そうは甘くない。負けが続いて年中ぴいぴいしていた。
 ある時、いっぱい呑ろうと入ったそば屋の主が、一匹の猫を滅多撃ちにしていた。
 商売物の魚を盗み食いしたものらしい。
 俗に「カラス猫」と呼ばれる真っ黒な大きい雄猫だったが、ひと目見るなり気に入ってしまい、
「それ、おいらにくんねえか」
 と、もらうことにした。
 家へ帰ると博奕打ちの常で、湯呑みとサイコロを持ってはつい振り回してしまう。
 そのうちに、猫がやたらと鳴くのに気がついた。
 湯呑みの中に投げ入れたサイコロの目が、ピンならニャーとひと声、三ならニャゴニャゴニャゴと三度鳴く。
 伏せたまんまの湯呑みの中をピタリピタリと当てるのだった。
 これには定も大いに驚いたが、ニタリと笑った。
 さっそく、ふところに猫を抱いて、賭博場へ出かけた。 思った通り、ここでも猫はピタリと出目を言い当てて、定はおもしろいように儲けまくった。
「クロよ。おめぇ、おいらが命を助けてやったから、こうして恩返しをしてくれるんだな。ありがとうよ」
 定は猫に「クロ」という名をつけ、儲けた金でいつもうまい物を食わせて、たいそうかわいがった。

 さて、そんな定にも女房がいた。
 しかし、定が博奕ばかりでしょっちゅう家に帰らないものだから、寂しさのあまりに、つい他の男と親しい仲になってしまった。
 そうして日が募るうちに、相手の男とは三日も会わないと気も狂いそうなほど好きになってしまっていた。
 こうなると、思い出したようにたまに帰ってくる亭主が邪魔になった。
「ねえ、何とかならないもんかしら。…いっそ……」
「よし、闇にまぎれて、定の野郎をひとおもいに……」
 自分の女房が寝取られていることはおろか、殺す算段が企てられていようとは、定はまったく気づいてなかった。

 どしゃ降りの雨の晩のことだった――。

 いつものように定はクロをふところに入れて、番傘をさし、賭博場から帰る途中の人気のないさみしい原っぱにさしかかった。
 ずっと後をつけてきた男が、ものも言わずにいきなり背後から刃物を突き刺した。
「ううー…ん……」
 宙を掴んで、そのまま定はどしゃ降りの雨の中、音を立ててくずおれた。
「ぎゃあ!」
 定が倒れたその直後。刺した側の男も悲鳴をあげて、折り重なるように倒れた。
 うつ伏せになった男の死体からおびただしい血が、雨に混じれて流れていった。

 それから半刻もしない頃、定の女房は裏戸がゴトゴトと音がするのを聞いて飛び起きた。
「おまえさんかい?どうだい、うまくいったかい」
 戸を開けようとして、女房は驚いた。
 定のかわいがっていた猫が、ひとりで戸を開けて入ってきたのだった。
 女房を見上げて「ニャー!」とないた猫の口の周りは、まるで血を啜ったかのように真っ赤に染まっていた。
「あわわわわ…」
 腰を抜かした女房の喉元めがけ、金色の眼を光らせた黒猫が飛びかかった。

 翌朝、女房の傍らで死んでいる「クロ」を長屋の連中が発見した。
 おそらく間男を倒した時に、刃物が当たっていたのであろう。深手を負ったまま、ここまでたどり着き、仇をとった後に息絶えてしまったのだろう。
 噂はあっという間に、江戸中に広まった。
「定さんを殺った男と女房は、喉を噛み切られていたそうだよ」
「なんでも、定さんのかわいがっていた黒猫がやったってぇじゃないか」
「てぇしたモンだ。おらぁ、あの男と女房の仲はくせぇくせぇと思っていたんだ」
 事の成り行きは、八丁堀の役人から南町奉行・根岸肥前守鎮衛(やすもり)に伝えられた。
「あっぱれ、猫の仇討ちじゃ。しかるべく、猫塚を建てて、まつってやるがよい」

 こうして回向院に『猫塚』が、町奉行のお声がかりで二十五両もの大金をかけて建てられたと伝えられている――。

●恩を忘れなかった猫の話

 時は文化年間(1804〜1817)のこと。
 両国の米沢町に、魚屋の利兵衛という男がいた。
 当時は魚屋といっても店を構えるわけではなく、毎朝、魚河岸に行って仕入れては盤台を担いで売り歩くのである。
 利兵衛は安く仕込んだものは安く売ってしまうし、口下手とあって、余り商売上手とはいえなかった。 それでも、その人の良さそうなところを気に入られて、贔屓にしてくれるお得意も何軒かあった。
 そんな一軒に、日本橋の両替屋、時田喜三郎の店があった。

 この家には、一匹のトラ猫がおり、利兵衛の来る頃合になると、決まって勝手口で待っているのであった。
「ちわっ、魚屋でござい」
 利兵衛が顔を出すと、いの一番に出迎えて、「ニャア」とひと声、催促するように鳴いた。
「おお、よしよし」
 気のいい利兵衛が、商売モノの小魚を一匹やると、トラ猫はさっと素早い身のこなしで喰わえて、物陰に消えてしまった。
 下働きの女中が呆れ顔で、
「まったく、あんたって、人がいいねぇ」
「いいってことよ。ここん家にはご贔屓になってんだ。小魚の一匹や二匹、どうってことねぇやな」
 利兵衛はニコニコ笑って、いつもそう答えるのだった。

 そんなあるとき、利兵衛は風邪をこじらせて何日も寝込んでしまった。
 女房もいない、気ままな独り暮らしはこういった時に不便だ。
 まして、江戸っ子。宵越しの銭は持たないのが常で、貯えもなかった。
「こらぁいけねぇや。このまんまじゃ干物になってあの世行きだ。トホホ……なさけねぇなぁ」
 せんべい布団に横たわったまま、天井板の節穴に愚痴りながら、いつしか眠ってしまった。

 猛烈に腹が空いて、利兵衛は目が醒めた。
「しょうがねぇ…水でも飲むか」
 布団から這い出ようとして、伸ばした指先に何か硬いものがさわった。
 邪魔だとばかりに払うと、チャリーンといい音が包みから飛び出た。
「ん?…あっ…こ、小判だ!」
 利兵衛が眠っている間に、誰が置いてったのか、紙包みに入った二両の小判が枕元にあった。
「ありがてぇ……助かった」
 小判を握りしめた利兵衛は、それがどんな経緯でそこにあるのかなど考えるゆとりもなかった。
「飯だ。めし、めし…」
 うわ言のように言いつつ、ふらつく足で飯を食わしてくれる店へ行った。
 こうして、何日かするうちに、利兵衛はすっかり調子を取り戻した。

「ちわっ、魚屋でござい」
「おや、利兵衛さん。久しぶりじゃないか」
「いやぁ、風邪をひいちまいましてね」
 いつもの女中は出てきたものの、トラ猫の姿がいっこうに見えない。
「あの……ネコはどうなすったんで…?」
 どうにも気掛かりで、利兵衛は聞いてみた。
「ああ、あのトラかい。実はね――」

 2・3日前の話だった。
 店の主が自分のお部屋に置いておいた金子が盗まれると言う事件が起きた。
 すぐさま、番頭から丁稚、奉公人までも調べられたが、出てこなかった。 金子から目を離したのは、ほんのわずかな間だったので、外からの侵入者とは考え難い。
 そこで翌日、主は犯人を誘き出すために、わざと小判一枚を置いたまま、部屋を出て見張っていた。
 すると、そこへ現れたのは、なんとトラだった。
 トラ猫は、自分で器用に障子を開けると、一度小判を手であらためるようにして、それから口にくわえて部屋を出ようとした。
「なんと、犯人は猫だったか」
 主は猫の器用さにあきれたものの、
「猫が小判を要りようとは、さては化け猫に違いない!」
 と、その場で切り殺したのだった。
 
「その、盗まれたお金と言うのは、二両だったんじゃねぇですかい?」
 女中の話に、利兵衛は思わず聞いた。
「そ、そうだけど…なんだって利兵衛さんがそんなことを知ってんだい」
 おどろく女中に、実は――とあの夜のできごとを話した。
 話はすぐに、主人の喜三郎に伝えられた。
「そうか…いつも親切にしてくれる魚屋さんの難儀を知って、恩返しをしようと思ったのだろう。 可哀想なことをしてしまったな」
 利兵衛は、使ってしまった二両を働いて返せるようになるまで待って欲しいと頼むと、
「あれは、おまえさんにあげよう。
 その代わり、どうかトラのことを忘れないでおくれ」
「へええ。そりゃもう、そりゃあもう……」
 喜三郎の言葉に、利兵衛は泣きながら何度もお辞儀を繰り返した。

 その後、利兵衛は一心に働き、表通りに店を構えることが出来たそうな。
 トラのことはなおも忘れずにいたため、文化十三年(1816)、回向院に塚を建てて、その菩提を人間のように弔ってやったという――。

 回向院の猫塚にまつわる伝説を三つ紹介したのだけれど、確かなのは建立年月だけで、あとはどうもあやふやなのだ。
 場所も、日本橋、八丁堀、両国とまちまちで、飼い主も全く別人。魚屋となっているのが多いが、まぁ猫の話だけに魚屋はセットみたいなもので仕方がない。
 江戸の暮らしでも猫は密接な存在であったわけであるから、どれも真実でこういった多くの話が猫塚を作るきっかけになったとは考えられないだろうか。
 猫塚以前にも、回向院には『犬畜生門』『猫畜生門』などのような墓もあったらしく、飼い主の愛着心は今も昔も変わらない。

 怪談らしいのは二話目ぐらいなものなのだけど、これの元ネタは落語なので……といちおう断り書きを入れておきます。

 さて、この他にも都内に『猫塚』はまだまだあります。
 世田谷の豪徳寺には、彦根城主の井伊直孝を招き入れて寺を反映させたという招き猫の猫塚があり、 吉原の西方寺(現在は西巣鴨に移転)には、吉原の花魁・薄雲太夫が大蛇の危機から救った猫の塚があります。
 また、日本橋堀留には『猫稲荷』と呼ばれる三光稲荷があり、招き猫の絵馬を掲げて祈願するそうです。(…スンマセン、今でもやっているのかまだ確認してないです)
 それらはまた、別のところで……(;^_^A アセアセ・・・)


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