●身代わり心中
本郷桜の馬場のとある大店に将来を誓い合った若い二人がいた。
男の方は丁稚から子飼いの若い手代で、そこへ田舎からやって来た下働きの娘と、いつしかお互いに惹かれ、
「末は必ず夫婦になって添い遂げよう」と深い契りを結ぶようになっていた。
ところが、しばらくして娘の故郷より、
「娘に婿取りの話がまとまりましたので、なにとぞお暇を頂きたい」
との知らせが、店主の元へ届いた。
二人はおおいに驚き、この世で添い遂げることができぬのなら、いっそあの世で…と、狭い了見を起こし、毎夜近くの桜の馬場で落ち合っていた。
そして、いよいよ明日にでもお暇が出ると聞かされた二人は、覚悟を決めた。
「今宵こそ、あの桜の馬場で首を縊って死のう」
その夜落ち合う刻を定め、手代は外出の用に出かけた。
主用を片付け、手代が桜の馬場に着いたのは、ちょうど日の暮れかかる頃だった。
桜の下にはすでに娘が待っており、二人はあらためて互いの意思を確認しあって、それから、かねて用意の紐を取り出した。
枝振りのよい桜を選んで、二人並んで紐をかけて首を縊り、そのまま二人一緒に飛び降りた。
娘の方は即死であったが、手代の方はどういう訳か地に足が着いてしまい、死ぬことができずに苦しみもがいていた。
そこへちょうど、娘が桜の馬場にやって来た。
娘は錯乱して大声を上げた。
それはそうであろう。
愛する男は首を縊ったまま悶え苦しんでおり、その隣りには自分にうりふたつの娘が縊死しているのだ。
娘の声を聞きつけて、近隣の人々が集まってきた。
人々はとりあえず手代を介抱すると、まもなく息を吹き返したので、心中の訳を尋ねた。
手代と娘は、今さら隠すこともないと、正直に二人の仲を話し、こうなった経緯を淡々と語った。
一同は、大体の事情は飲み込めたものの、どうしてもわからぬのが死んでいる女の方だ。
しかし、このまま遺体をぶら下げていても埒があかぬので、紐をはずして地面に降ろした。
女の身体とはいえ、やけに軽すぎないか──?
人々がそう口に出そうとしたとき、娘の死体からむくむくと長い毛が生えてきた。
驚きの声を上げるまもなく、娘はみるみる縮んでゆき、一匹の狸に姿を変えた。
妖怪の類は死んでしばらくすると、元の姿に返ると言われる。
この狸は、毎夜、桜馬場で落ち合う二人に同情したか、
二人の話に感化されて、自らを娘と同一視して変化したのか……今となっては知る由もない。
ただ、この話を聞いた大店の主は、「みすみす若い命を散らすことはない」と娘の両親を説得して、
二人の仲は許されたという。
──狸が結んだ縁である。
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