大鏡山南蔵院/角筈十二社

●怪談・乳房榎 ― 十二社の滝の章 ―

 正介から委細を聞かされたお住持ちは驚いて、すぐに村方の世話人へ知らせをやった。遺骸は一時、南蔵院へ引き取られ、奉行所の御検視が済んだ後、柳島の屋敷で葬儀を行い、土用の暑い時期であるからと早々に菩提所へ野辺送りをされた。
 悲観に暮れるおきせを磯貝浪江は
「いずれわたくしが師匠の敵を草の根分けても尋ねて、真与太郎さんに討たせます。
 わたくしがお助太刀をいたす」
と、自分の所業は隠して慰めていた。

 そうこうするうち、三十五日も済んだある日のこと、浪江は地紙折りの竹六を撞木橋の自宅へ招いた。
 策略家の浪江は、まだ若い御新造様をこのままひとりにさせるのは世間が許せぬ、誰か気の優しい人を入夫にして間与島の加盟を相続させたいと思うがどうだろう、などとお調子者の竹六に聞かせた。
 竹六は浪江の二面性など知らぬから、
「御入夫をお入れなさるならあなたがいい。御新造だってあなたを常不断お褒めだ。あなたならお二つ返事。坊ちゃんも懐いておいでで、大変に都合がよい。このことはわたくしが引き受けていたします。ええ、お任せなさい」
と、勝手にどんどん話を進めていった。
 竹六はさっそくおきせのところに行って、しきりに浪江のことを誉めそやして勧めた。
 無論、浪江とおきせとは予て話が出ていたが、互いに相談ずくでは他人の口も面倒なものだから、竹六を橋渡しにして、人が寄ってたかって入夫にさせるようにしたのだった。  下男の正介も悪事に加担しているので悪いと言えず、他に親類縁者もないとのことで、たちまち話はまとまり、重信の四十九日が済むや否や、人減らしとして長く奉公していた下女のお花を暇に出し、婚礼などの儀式はせずに、いわゆるずるずるべったりに浪江が乗り込んで、おきせの後添えとなった。
 こうして磯貝浪江は重信の蓄えた高価な道具から田地までを手もぬらさずに我が物にしたのである。

 それから月日がたち、宝暦三年七月の初旬から、おきせは酸っぱい物が食べたいと言い出した。
懐妊となると、九月の頃には乳も上がってしまい、まだ二歳の真与太郎は母の乳が出ないとむずがり、ピイピイ泣き続けていた。

「正介、一年経つのは早いものだな」
 ある日のこと、浪江は正介を連れて馴染みの料理茶屋へ行った。奥の離れに通されて、ここなら誰にも聞かれはせぬ…
 実の子ができて、毎夜うるさく泣き続ける真与太郎が邪魔に思う浪江はこれを何とかしようと正介にもちかけた。
「なんでもああいう餓鬼が成人いたすと、きっとおれを親の敵とねらうに違いない。どうも睨み目がひととおりではない。真与太郎を人知れず、てまえ殺してはくれまいか」
「そりゃおめえさま、いけましねえ。まだ二つやそこらのお子で、乳イ飲む小せえ坊ちゃまが、おめえさまの顔を睨むの怖い顔をして見るのということがあるものですか。そりゃあ、おめえさまが気イとがめるのだ。よせっさい、かわいそうに」
「そりゃあな、ああいうことをしたから、こっちの気でそう思うのかも知れんが、あれを今のうちに亡き者にせんければ、おれが枕を高くして寝られんよ。どうかうまく餓鬼をやってくれ」
 手前勝手なことばかり言う浪江で、正介もそんな酷いことはできないと断るが、ならば委細を知ったお前を切り殺すまでと傍らの差し料の刀を取って鯉口をくつろげるものだから
「ああこれさ、待ってくらっしゃい。ああ気の早えお方で、おめえさまは怖え」
 重信を闇討ちにした浪江のことだ、自分を切ることなど造作もなかろうと思えば、泣く泣く引き受ける以外正介にはなかった。
「ええ情けねえ、やりますべえ。
 だが坊ちゃまをどうして殺すだあ」
「それはこうじゃ……」
 浪江は重信の時と同じように計画を微に入り細に入り練り上げていた。

「今帰ったよ」  浪江が正介と連れ立って宅へ帰ると、おきせは乳が足りないと泣く真与太郎を寝かしつけているところだった。
「また泣くのか、いかねえの。そうピイピイ泣かせてはのぼせるよ……ああ乳がないからな。
 それなら里にやるが良い。なあ正介、てまえが頼まれた口とかは、あれはしごく良いな」
「はあ、妹の親類の縁付いてる先で」
「名は、ええ喜左衛門とか言ったな。その嫁というのがてまえが妹の姪であるか。
 これ、たしか鳩ヶ谷とか申したな。ここから三里、なに三里半もあるか。何にしろ大尽だそうだ」
「へえ、田地の二百石もある、馬が二十匹もあるたいそうな富限だよ」
「おきせ、正介が口入れだから案ずることはない。
 真与太郎がてまえの乳を探っては出ぬと泣き出すのは、実に見ておってもいじらしいよ。あれが為だから早いがよい。今日正介に頼んで連れて行ってもらうが良い」
 急な話にあっけにとられたおきせだったが、根が素直なので、
「正介、おまえが先を請け合うのかえ」
「へえ、わしぃ請け合うよ」
「おまえの親類というのなら坊をやっても安心だ」
と、浪江がそばでせき立てるので、義理を立てて、真与太郎の着物を着せ替え、箪笥から替えの着物からおしめまでを風呂敷に一つにして、正介に渡した。
「あの途中で泣いたら頼むよ」
「ようごぜえます。このごろはわしになじんでござるから、もし泣いたら爺が落雁を噛んであげやす。それでじきに泣きやむだあ」
 別れを惜しむ間も浪江は早う早うとせき立てる。正介は涙を飲み込んで、泣き伏せるおきせを後にした。

 十二社の入り口は大樹の杉が何本となくあり、滝の音が木霊に響いていた。
 ここへ来たのは浪江の指示に他ならなかった。

「ここの大滝はなかなかものすごい高い所から落ちるが、谷の下は深い滝壺で、ここへ真与太郎を放り込んでしまうのじゃ」
「坊ちゃまを滝壺へ放りこめって、そりゃあ駄目だ」
「なぜいけぬ」
「いくら深え滝壺だって、水だから死骸が浮くだあ。
 そうなった日にゃあ大事だ。すぐにおれが業だと知れて、おれ、お仕置きになるだあ。
 おお怖え、浪江様やめなせえ」
「そんな心配はいたさいでよい。
 何丈という上から落ちる巾の四間もある滝だ。ことに滝壺の下はみな岩だから、あすこへ打ち込めば死骸が底まで行かぬうちに、微塵に砕けて散乱して、どんどん水に流れてしまうのは請け合いだ――」

 正介は真与太郎を抱いて谷の下をのぞき見た。
 滝の音はすさまじく、岩に水が当たって飛び散る様は恐ろしい――しかしそれ以上に、もしこのまま殺さずに帰ったならまた刃物三昧しかねない、あの浪江の方が恐ろしい。
「堪忍してくだせえ、坊さまぁ」
 正介は目をつぶって、念仏を唱えながら真与太郎を滝壺へ打ち込んだ。

 ――しかし一向に落ちた水音がしない。
 どうやら途中で蔦葛にでも引っかかったらしく、泣き声が聞こえる。
 困った正介はうろうろして、滝の下へおりる道を探したが、一天青空がにわかにかき曇って真っ暗となり、水煙が霧のように辺りを覆った。
 真与太郎の泣き声がやんだ。
「坊さま、どうなせえましたぁ」
 正介は身を乗り出して滝壺を窺った。

――すると、

ドウドウと漲り落ちる滝の中から、真与太郎を抱き上げた重信が朦朧と姿を現した。

 重信は落合の田島橋で殺された時のままの浅黄縮の五つ所紋帷子に献上博多の帯で、肩先から斜めにざっくりと割れた切り口からは生々しい血が溢れていた。
 総髪振り乱し、正介と目が合うや憤怒の相を露わにし、正介の眼前まで空を上ってきた。
「ああ旦那さま、か、堪忍なせえぇ」
「正介、正介──」
 重信の声は雷鳴のように轟いた。
「汝悪人浪江に謀られたと言いながら、よくもこの重信の頭上を打って、重悪人の助けをしたな。また妻おきせことも犬畜生に劣ったやつ。今にかやつらはわが怨恨その身に付きまとい、苦痛をさせたうえ八つ裂きにしてくれよう。
汝とてもそのとおり、骨を砕いても飽き足らぬ」
と、髪を逆立て、正介の髻をつかんで草原へ引きずり倒した。
「ああ…許してくだせえ許してくだせえ…南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
 正介は総身に脂汗を流し、言い訳をして謝ろうにも怖さのあまり口が利けず、ただ口の中でひたすら念仏を唱えた。
「この場で殺すのは安けれど、汝今より悪心を翻し、このせがれをいずくの地へなりと連れまいり、成人さしたうえで仇を討たし、わが修羅の妄執を晴らさせくれよ。さすれば命を取ることは許し遣わす、よいか」
「はああ…ようございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀……」
 正介が一心不乱に念仏を唱えるそのうちに「必ず必ず忘るるな…」と言う声が天に木霊し、さあっと吹き来る風もろともに重信の姿は消え去った。気がつくと、滝壺へ打ち込んだはずの真与太郎が膝の上にいた。
 ドウドウとしぶきの跳ねる滝の音がよみがえり、いったん雲に隠れた月もまた顔を出し、樹の間を漏れてあたりはぼんやりと明るくなった。真与太郎はすやすやと寝ていた。
 正介は再び堅く約束を誓うと、そのまま故郷の赤塚へと足を向けた。


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